田んぼには水が入れ始めているところが、日々増えてきています。もう既に苗の植え付けを完了させてしまっている水田も見かけるようになりました。
水面が日差しを反射して光り、道路にはトラクターの通った跡が残り、夜には蛙の鳴き声も聞こえるようになってきました。
田植え作業には持ち主だけでなく子どもを含めた家族、親戚、知人なども手伝っているようです。全ての水田の田植えを完了させたら、夜には皆で宴会でも開くのでしょう。
会津だけではないですが、水田はその地域にとって風物であり、田植え作業は正月や、盆などの行事などに等しいのだと思います。
子ども時代から会津平野に広がる水田を毎年のように見てきていたので、今になってもごく平凡で、日常的なことのように感じています。
会津地域の田んぼの水は主にその地域の河川からの水を利用しています。
猪苗代町の水田の場合、裏磐梯から流れてくる水を利用しているようです。
上の写真は裏磐梯に向かう国道沿いにある用水路です。
近づくのが慎重になるくらい大量の水が流れています。
←どうでもいいですが、首都(大都市)圏に住んでいる人が見たら一瞬混乱してしまうような境界標識がありました。
この用水路の長さは10㎞以上にも及びそしてその水は猪苗代の西側方面の水田群を潤しています。
会津地域の水田は山に囲まれた盆地にあるため川の上流のきれいな水を豊富に利用できているので、米作りにはかなり恵まれた環境にあるのだと思います。
今、浜通りの被災地では生活用水が不足しているようですが、この裏磐梯などの会津地域の水が容易に飲料水などに浄化できれば、利用してもらえばいいのではないかなどという素人考えをもっています。
水量が豊富な会津地域ですが、そのかわり水害も多く受けていたようで、よく整備された治水・灌漑施設が見られます。
現在でもさらに開発されている水田や用水路などを他の地域で見かけることがあります。逆に一方では後継者がいなくなったと思われる水田もあるようで、私の実家のあるところでも、もう耕作されずに放棄されている田んぼも見かけるようになりました。
開発するにせよ、放棄されるにせよ、やはり昔よりだいぶ変わってきていると実感しています。子どものころ水生昆虫などを取って遊んでいたこともあった水田が荒れ果てているのを見ると、やはり切ないものがあります。
ここで子どもの頃に水田に親しんできた者として開発による環境や生態系への影響、その他の問題うんぬんなどについて何かもの申すべきかもしれませんが、それに関することは後にします。
まあとにかく水田の季節が始まりました。この時期は実に風が気持ちがいいです。