2014年3月31日月曜日

一年間ありがとうございました!

ひとまずブログを終了します。


確認できた閲覧数よりももっと多くの人が見ていてくれたように思います。
海外の方も見てくれたようですが、一体、自分の文章をどのように翻訳したのか気になります。
とにかく読んで下さったことに感謝したいです。


ブログはやはりこういうのが撮れたらいいとかこういう展開なればいいという願いはありましたが、なかなかうまくいかなかったです。
でも運がよかったこともあり、またうまくいかなかったこともあったがそれがいい結果になったこともありました。


ブログをやってみて、誰を対象にして書いたらいいのか時々迷うことがあり、おかしな具合になってきたときがありますが、でも地元の人にも他の地域の人にも伝えたいことがいろいろありました。

最後の方はちょっときつかったです。
いや、きつかったのはたびたびでしたが、とりあえず自分ではよくやったと思っています。


地元で生活を再開して三年たちました。
友人と電話で話すときなど訛りが復活してきたように思います。
また観光に来る都会の人達との差異も感じ始めてきました。

地元に帰ってきて変わってしまった部分をいろいろ感じました。
しかしそれなりになじんでしまったこともあります。
素晴らしいと思うものもありました。

しかしがっかりしてしまうものも、たまにはありました。
それに対しては地元に強く期待してしまっているせいか、他の人が感じることより過剰に辛く感じていたかもしれません。

それでもやはり地元の自然などはいいと思うことがたびたびあります。


しんどいときも景色などを見ると安らぎを感じます。
これからもっと生活が落ち着いてきたら、地元を見て周るだけでなく地域の活動にも参加していきたいです。



地元はこれから復興に向けて、さらにはたんに復興だけでなくよりよい地域を目指して進んで行ってほしいです。


理想とするもの、実現したいというものがあると思います。
やりたいこと、すべきこと、できること、それらがせめぎ合いあるいはまざり合いながら導いてくれるのではないでしょうか。


あとその地域の独自性、特色がもっと発揮できればいいです。
教育や再生可能エネルギーなどもそうですが、もっとも期待しているのは福祉です。
福祉はその地域の独自性がもっとあってもいいと思います。


こちらの人達が好む福祉は高度な知性によるものより、田舎らしい素朴な思いやりがこもった支援だと感じます。
特に福島は多くの被災者の人達がいるので、その方々に対しての支援が必要です。
いろんな分野の人達が協力し合っていく必要があるでしょう。

ドイツにはクラインガルテンなどという農地を利用した福祉支援があります。
会津にもあるそうが、もっと活用されたらいいと思います。
効果はどのくらいあるかどうかわからないですが、でも自宅の敷地に畑や果樹園を持っている人達は穏やかで健康的な人が多いように思います。


中にはもはや福祉と呼べるものではなくなるかもしれないが、さまざまな援助が考えられると思います。
ドイツだけでなく他の国の福祉支援でも、これはというものがあれば参考にし、地元でできるものにしたらいいのではないでしょうか。



故郷があって本当によかったと思います。
東京の人が故郷があるのは羨ましいというのをよく聞いていましたが半ばお世辞だと思っていました。
でも、子どもの頃から引っ越しばかりで自分の故郷がどこかわからないと言っていた人がいました。
そのときにはじめて自覚することができ、その人には申し訳ないのですが故郷があるだけで恵まれていると実感しました。


これは地元だけではないのですが、地方はそれぞれの特徴を見えやすいものにしていった方が自分の故郷をこれから見つけたいという人、また週末だけでも暮らしてみたいという人のためにもいいと思います。



東京については、また会いたいという人達が多くいます。

東京から離れて思い出すことはほとんど出会った人達のことです。
実は一時期ある学校に通っていたときがあったのですが、一年の時に出会った先生(学者)が今でも強く思い出に残っています。
今はご退任されていると思いますが、初めて立派な人に出会ったと感じました。
でも学生に親しい方で飲みの誘いには気軽に応じていました。
この震災が起こることを予感していたのか「みなさんは大変な時代に生きています」と重い表情で告げたことが印象に残っています。
子犬を飼ったことを報告してくれましたが、いまでも一緒に元気でいるかどうか気になっています。


著名な人もたくさん見かけました。
好きな芸能人を生で見たときはさすがに興奮してしまいました。
海外の音楽家のライブにいったときは、東京だけでなくもっと広い世界を意識しました。
子どもの頃から家族でファンだった映画の監督とも握手させてもらったことがあります。


結婚したいと思った女性も三人いました。
その中の二人は今でもたまに思い出してしまいます。



そして出会った子ども達のこと。
しばらくの間、親身になって交流した児童たちがいました。
その他にも
面白かった子
かわいそうだと感じてしまった子
ささいなやりとりだったがずっと記憶に残っていることもあります。


いまの自分があるのは地元での経験以外にも、それらの人達によってだとつくづく思います。
本当に感謝したいです。


それではこのへんで終了します。

会津だけでなく、中通り、そして浜通りの今後をどうぞ見守ってください。


我が福島よ、これからもよろしく!


そして他県の人達も、
そして海外の人達もよろしくお願いします!


それでは

2014年3月30日日曜日

我が故郷の春

ブログ『我が地元「会津」』、最後は自分の生まれ育った故郷の春を紹介します。

この時期の自分の故郷は晴れ渡った空というより、どんよりとした天気だったことが多かったように思います。

周りの風景も雪解けで、斜面に次第に土の表面が見える白と茶色のコントラストの世界でした。
ただその中でときおり日が差し、辺りが輝くときがありました。

その時の光景に今でも焦がれるものがあります。


そういった風景を紹介したかったのですが、本日はあいにくの雨でした。
あまりこれといったいいものは撮れなかったので、場所と思い出を語るだけになりそうです。
ただここ数日、暖かい日が続いたのもあって、雪はだいぶ溶けていました。
雪解け水でしばらく川は増水し続けているでしょう。

自分の故郷は大きな寺や温泉などがあり観光地ではあるのですが、やはり田舎らしい自然に囲まれた場所です。

しかしだいぶ変わってしまった場所もありました。

母校の校庭もだいぶ雪が溶けていました。
体育館には卒業式のものだと思いますが、まだ紅白の幕がかかっていました。
自分の頃は、「春の足音が聞こえてきます!」などというくさいセリフを皆で言った卒業式でしたが、でもとてもいい想い出だったので、懐かしく感じました。

ちなみにこれはひょうたん池(水槽)だったのに花壇に変わってしまっていました。
釣ってきたフナとか入れたことのある池だったのですが、なんと変わり果ててしまったのか。

これは学校脇のかなり傾斜のある坂でした。
自転車で下から休まずに登り切ったことはあまりなかったように思います。

これは深夜、自転車を走らせた農道です。
そのときは満月がかなり輝いていて、街灯などはないのに周囲がはっきりと見えていました。
その時の光景はかなり感動的だったと今でも記憶しています。

向こうにはたしか、土器が出土するというので散々荒らしてしまったことがある畑があります。

この鉄橋も仲間と渡ったことがあります。

ここは、途中で弱音を吐きそうになるくらい、かなり遠かった友人宅の集落への道です。
車の通っている形跡がないようですが、もう集落にはだれも住んでいないのでしょうか。

遊びもよくしました。
こんな小さい公園でもソフトボールをしていました。

町の施設の駐車場さえ、遊び場でした。
銅像などには、よじのぼって鼻の穴あたりをよくいじっていました。
施設の屋根は早朝にカブトムシやクワガタが止まっていて絶好の捕獲場所でした。

テレビゲームが流行りだしてからは、遊びは主に友人宅の室内になってしまいました。
ゲームもそれなりに熱中したもので、友人との新しい遊びとなりました。
自分が遊んでいた頃のゲームのブログを作るとしたら、けっこういろいろと書いてしまうでしょう。

ここの神社はちょっと不気味だったのですが夏の暑い日には涼しい場所でした。

ここはお寺にある通路です。
紅葉の時期はかなり綺麗で、テレビのロケにも使われていたことがあったと思います。
子どもながら結構いい場所だと思っていました。

川でも遊びましたが、女の先輩に魚の取り方を伝授してもらったことがあります。

故郷では児童の数が少ないので、保育園から中学までみな顔なじみです。
男の先輩も女の先輩も、兄弟のように親しく下の名前を呼んで接してくれていたました。
面白かった先輩とかいて一緒に遊んだりふざけあったりしていたし、後輩に対しても可愛がっていました。
だからそれらの人で病気などで亡くなったと聞くと、ちょっと信じ難いという想いがします。

ここには公営団地があります。
よさげな住宅が建てられていました。
実は両親が共働きだったため、保育園児の頃は迎えにくるまで、ここに住んでおられたご家族の方にお世話になっていました。
ですからここに来たときは本当に懐かしさがこみ上げてきました。

道路脇のこんな壁さえも懐かしく感じます。

当時のままの団地がまだ残っていたのには、びっくりしましたし嬉しかったです。
よく面倒見てくれたお兄さんは、どうしているだろうか。
よく遊んでいた同い年の女の子は今どこで何をしているだろうか。
そして世話してもらったおばあさんは、もうご存命ではないかもしれません。
預かってくれていたご家族はもう一軒ありましたが、会ってみたいのにいろんな恥ずかしさを感じて、できそうにありません。


他にも今頃になって気になりだした人とかいます。

自分が一番幸せだったときは、やはりここにいた頃だったと思います。
自分の家庭はそれほどいいものではありませんでした。
しかし、それでも幸せだったと言えるくらい自分を育ててくれた故郷でした。


今はここに住んではいません。
しかし、ここでの思い出や体験は今でも自分のあり方や価値観に影響を与えていると思います。



本当はもっと他に写真で撮るべき場所のある故郷ですが、しかしそれらよりも他の地方でもあるような田んぼや山道などで経験したことや、遊びや行事などで仲間と経験したことの方がここの素晴らしさを感じるところだったと思います。


故郷で出会った多くの人達に感謝したいです。
また故郷の自然にも感謝します。
今度ここで暮らすことはあるかどうかわかりません。
あるとしても、ずっと先のことになるかもしれません。
いずれにせよ、なにか恩返しをしたいと思っています。

またここで経験したことを、何かで他の地域でも貢献できたらいいと思います。

2014年3月26日水曜日

会津フード記 その20「春の山菜」

最後のフード記は春の山菜を紹介します。

この時期と言えばやはり、ふきのとうでしょう。

今回はふきのとうを採りに、まだ紹介してなかったというのもあったので湯川村へ行ってきました。

ちなみに桧枝岐村もついに紹介できませんでした。
ブログにはもう投稿できないですが、夏頃にはまた訪れてみようと思います。

湯川村ではほとんど雪が溶けており、田んぼにはまた今年も白鳥達がいるのを見かけました。

ところでふきのとうはというと、この時期ではいろんな場所で目にするものなのに、探そうとするとなかなか見つからないものでした。


あきらめて他の地域へ行こうかと思ったら、ようやく発見しました。




ふきのとうはまだ花が開いていない状態が美味しいそうです。

とりあえず、ここではこのくらい頂戴しました。

ふきのとうの料理といえば天ぷらでしょう。

今回、はじめて天ぷらを作ることに挑戦しました。

ちょっと焦げたかもしれませんが、まあ、それらしいものはできました。

で、どうせならということで今までとは違った調味料で食べてみました。

地元の調味料である醤油糀、
テレビで見て、以前からやってみたかったカレー粉、
そして春らしく梅シソねりです。

何か無難なものばかりですが、せっかく採ってきたものなので美味しくいただきたいです。

やはりつぼみの状態のふきのとうは、それほど苦みはなく食べやすかったです。

ふきのとうの他にもウルイというものがあって、それも採ってきて食べていたことがあります。

畑でなく道端で採ったものを食べるというのは、やはり独特な感じがします。
ふきのとうは特にそれほど美味しいというものでもないかもしれません。


しかし雪が溶けてきて、地表に見え始めてくるこの丸っこい姿を見ると、やはり食べてみたいという気持ちが生じます。

なんでこんな食べたくなるような姿をしているのか、ちょっと面白いと感じたりすることもあります。



おわりに


会津フード記はこれで終了となります。

途中で始めた企画で、さらに出費がかさんでつらかったですが自分なりに満足のいくものが出来たと思っています。

ところで赤カボチャのどら焼きですが、販売は再開したようですがあまり量を多く作れないらしく品切れが続いている状態でした。
また購入できる機会があれば、いつかその画像を追加したいです。
※追加しました。(2014年4月20日)


自分なりに会津らしい食べ物を取り上げてみたのですが、興味を持ってもらったものはどれくらいあるのだろうかと気になります。
ちなみに自分が今もう一度食べてみたいと思うのは里芋の山葵和えです。


他に会津のグルメとして紹介できるものとしては、ラーメンやソースカツ丼以外に馬肉があります。

一年くらい前に作られたようですが馬肉のソースカツ丼なるものができていました。
これはなかなか美味しそうで、多くの人に喜ばれそうですし、自分もいつかは食べてみようと思います。

また宮古そば集落に再び訪れた時、前回と同じ「とのや」さんですが、そば豆腐なるものを新しいメニューとして出されていました。
これはなかなか美味しく、これも地元の名物となりうるものだと思いました。


地元を知ってもらうのにはやはり食べ物がいいかと思いました。

それと同じく、他の地域を知るのも食べ物になるのかなと思います。

実は西日本にはほとんど行ったことがないです。
でもスーパーに西の地方の揚げかまぼこがあって食べたのですが、かなり美味しかったです。
揚げたてだったらもっと美味しいのではないでしょうか。
まだまだ自分の知らないかまぼこなどの種類があるのだと思います。

地元でアピールされたい方は、ぜひお願いします。



これまでにいろんな店に行くことができました。
店内で料理の写真を撮るのは本当に恥ずかしかったです。
気にしてられる店員さんもいたようで、大変失礼しました。

またいろいろとご協力していただいた方々には、本当に感謝したいです。
本当におかげさまでした。


それでは、ありがとうございました。



会津フード記 ~完~