2013年8月25日日曜日

夏の想い出づくり(奥会津温泉旅行)

お盆を何気なく過ごしてしまい、このまま秋を迎えるのも少しやりきれないものがあったので、この夏を充実したものにするべく一泊の旅行をしてきました。

旅行と行っても場所は地元ですが、以前から行こうと思っていた金山町の温泉地域です。
ここ金山町は八カ所もの温泉がある地域で、鄙びた風情と野趣ある温泉が多くあります。
大川沿いの観光地化された温泉郷とは異なり、温泉マニアなどに好まれる地域でしょう。

その温泉の中で、私が今回訪れたのは国道400号線沿いにある地区です。

鄙びた田舎の風景を求めるとしたら、ここはまさしくそれに適う場所でしょう。

この地区を流れる野尻川では簗が造られている最中であり、地域の元気な姿が見られました。


この野尻川沿いには八町温泉と玉梨温泉があり、周辺には宿泊施設があります。
ここは何度か通ったことがあるのですが、この場所の野尻川の眺めが実に素晴らしいです。


前日雨が降っていたので、少し濁りがあり増水していたようでしたが、この場所を見るたび子どもの頃に川遊びをしていたことを思い出します。

八町温泉・玉梨温泉には共同浴場がありそれぞれ整備されています。
これは八町温泉の共同浴場で、混浴風呂となっています。

混浴風呂は初めて入るので、すこし緊張しました。
でも現在ここを女性が利用することはほとんどないでしょう。


これが八町温泉共同浴場の中の様子です。
温泉には鉄分が含まれているようで、床や浴槽が赤茶色になっていました。

しかしよく管理や清掃がされているようであり、快適な温泉を楽しめました。


これは川の反対側にある玉梨温泉の共同浴場です。
こちらは男女別となっています。

こちらは玉梨温泉共同浴場内の様子です。
八町温泉のと違ってこぢんまりとしていますが、浴槽は少々深めです。
ここは夕方頃から地元の人がよく利用しにくるようでした。
観光客だけでなく地元の人にとって役に立っている温泉こそ貴重なものに思えます。

風呂上がりに、この野尻川を眺めながら涼むのがとても気持ちがよかったです。
こういった場所は他の会津地域でもなかなか見かけないので、それらの地域の人にも薦めることができる温泉だと思います。


宿泊先は「朝日屋」という民宿です。

こちらが部屋の中です。
体が自動的にくつろいできます。

以前よく一人旅をしていたことを思い出してしまいました。


翌日早朝は霧がかかっていました。
まだ八月にも関わらす、すでに朝はヒンヤリとしています。
しかし、すぐに晴れてくれました。


ところでこの金山町には「沼沢湖」という湖があります。
せっかく天気がよくなったので朝の風景をぜひ見たいと思い、早速行ってきたので紹介します。

これが沼沢湖です。
湖上には雲が漂っていて神秘的な感じがしました。

少し緑色をしていますが、透明度は高い方だと思います。

秘境の地という雰囲気が漂っている場所ですが、湖の東方面にはキャンプ場が整備されています。

キャンプ場付近の浜辺です。

魚達も多くいるようで、浅瀬でも間近にその群れが見えました。

周辺には美術館やスキー場などがあり観光としても楽しめる場所です。

以上、夏が過ぎる前にと、やや敢行気味にしてしまった旅行でしたがなかなか満足できたと思います。
とりあえずこれで秋を迎える準備はなんとか整いました。


簗がまだ出来ていなかったのが残念でしたが、10月前には完成した簗の画像をこの投稿に追加する予定でいます。

※簗が完成していましたので紹介します。

金山町にはもう一つ簗ができていました。


魚は簗のすぐ前を泳いでいたのですが、なかなか簗に落ちてきませんでした。
それでも見ていて楽しめるものがあります。

他の地方の簗と比べると素朴な造りですが、純粋に漁を目的として設置されているようでした。
この金山町では川を普通に生活の領域として、親しんでいるのだと思います。



ところでニュースなどで川での事故などをよく知らされますが、恵みをもたらすとともにやはり脅威的なものでもあります。


たびたびですが東京のことを取り上げます。

この地域を流れる多摩川では上流の方はかなりきれいな水質で毎年、夏にはそこを泳いでいる人を見かけました。
中には学校のジャージを着たまま泳いでいる児童たちもいて、見ていて気持ちのよいものがありました。
また大人の人でしたが、川が滝のように流れ落ちている大型の堰付近で泳いでいる人も見かけたこともあります。
さすがにこれは危険だと見ていて感じたこともありました。

そしてやはり川の事故が起きたこともありました。
その川の場所は毎年夏には多くの人が遊んでいるところのようですが、その後日でも付近で泳いでいる人を見かけました。
やはり人は川に親しみたくなるものだと思います。

今後も各地で川の事故は起きるでしょう。

そのためにも安全に整備された川辺の環境があればいいと思います。


以下のようなものを空想しています。

急激な増水の影響を受ける本流付近を避け、その周辺に水を引き込み新たに人工の川をつくる。
流されてしまわないように、下流には簗のような円滑に乗り上がることができる柵を設ける。
そこに監視員のような人がいればより安全な環境ができると思います。

本流から外れた川に設置された簗の画像を見たことがあるのですが、そのイメージに近いものがあります。


より安全な環境として養鱒公園にあったような親水場をもう少し深くしたようなものもいいかもしれないのですが、やはり自然の環境に近い方が理想的です。


川の脅威には未知なるものがあるので、泳げる場所など実現させようとすることさえ気が引けるかもしれませんが、そういう場所があったらいいと思います。

2013年8月21日水曜日

会津フード記 その6「鯉料理」

会津の代表的な郷土料理には鯉料理もあります。

会津では江戸時代の中期頃から飢饉対策として養殖されるようになったそうです。
しかし山間地方にとっての単なるタンパク源とは言えないくらい栄養価の高い魚のようです。
パンフレットに書かれていた文章を引用させていただくと、21種類ものアミノ酸を持っており、その内の8種類が人間の必須アミノ酸(全9種類)なのだとのこと。
古くは薬用魚と見なされていたようです。

会津の鯉料理として主なものは写真にあるような「鯉の甘煮」でしょう。
私も子どもの頃から宴会の席などで「こづゆ」同様よく目にしていた料理でしたが、しかしそれほど好んでは食べていませんでした。
甘めの味つけにご飯との相性を感じなかったからかもしれません。

鯉自体は嫌いというわけではなく、「鯉こく(鯉の味噌汁)」は好きな料理でした。
頻繁に食べていたというわけではなく、どなたかが釣ってきた鯉を分けてもらったのを食べていたと思います。
養殖物と違って川魚特有の臭みがあったのですが、しかしだしはとてもいい味が出ており、鯉の野性味が感じられたのを覚えています。


こちらへ帰ってきてから、ぜひもう一度「鯉こく」を食べたいと思っているのですが、メニューに置いている店が見つからないでいます。
鯉の卸業者さんにも問い合わせましたが、やはりご存じないようでした。
それどころか最近では鯉料理を出している店さえ少なくなってきているようです。

しかし鯉こくの代わりに、鯉の天ぷらを出しているお店を紹介していただきました。
会津若松市にある「二丸屋武蔵亭」というお店です。

これは鯉の天丼と冷たいそばのセットです。
鯉の天ぷらは美味しかったです。
他の白身魚のように違和感無く食べられ、普通に天ぷらのネタとして広まっていてもおかしくないとさえ思いました。


それにしてもやはりもう一度「鯉こく」が食べたいという願望があります。
昔は田植えや稲刈りなど一仕事終えたら、温泉で疲れを癒した後、鯉を食べて精をつけるという鯉湯治なる習慣もあったそうです。
べつに一仕事の後でなくてもいいので、温泉にゆっくり入って、湯上がりにのどを潤して体を冷ました後、鯉こくを一杯食すなどということをぜひしたいものです。


鯉は海外でもよく食べられている魚のようですが、今までの鯉料理以外にももっと料理が考えられるのではないかと思います。

2013年8月18日日曜日

お盆の夜

会津では8月中旬にお盆を迎えます。

実をいうと自分はお盆という行事が未だにどういうものだか分からないでいます。
先祖の霊を祀る厳かな行事かと思えば、夜には花火、盆踊りなどのお祭りを行います。
ご先祖様と一緒にこの夏を楽しんで過ごそうという趣旨なのでしょうか。
行事の意味が明確な正月などと比べて、お盆はただ何となく過ごしていた記憶があります。


ともかく会津の主なお盆の行事を紹介します。

まずは、やはり花火でしょう。

これは猪苗代町で行われた花火大会の様子です。

大規模なものではありませんでしたが、町内の運動場で打ち上げられたので間近で見ることができて迫力がありました。

これは柳津町で行われた花火大会です。
当日は不運にも霧の発生と無風という悪条件が重なり、ほとんどの花火がガスで隠れてしまったのが残念でした。

「見えたー!」という歓声が上がったときはちょっと切ないものがありました。

ここの花火大会は山に囲まれている会場だけあって音が反響し、バッチン!バッチン!と体に響いてきます。
来年はぜひ良い天候に恵まれてほしいです。


花火以外の風物としては盆踊りでしょう。

これは東山温泉の盆踊りです。
13日から四夜連続して行われますが、最終日は会津で避難生活をされている大熊町の町民の方々が参加していました。



会津の盆踊りでは民謡「会津磐梯山」に合わせて踊るのですが、最初に大熊町の皆さんが踊るときは「相馬盆唄」が演奏されました。
地元のお盆ではかならず「会津磐梯山」を聴いていたせいもあって、「相馬盆唄」は実に新鮮でした。



まるで他の地域の盆祭りにいるような感覚がしました。


歌い手さんも蒸し暑さを払うかのような張りのある歌声で聴き入ってしまいました。


日本の伝統的な民謡には、日常的に鑑賞してみようという気はまだ起きないのですが、祭りのイベントや宴会の席などで威勢よく謡われるとやはりいいものだと思ってしまいます。


この東山盆踊りには子どもも含めた市民や宿泊客、見物客も輪に加わり踊っていましたが、ぜひ市内の若い子達ももっと踊りに参加してほしいです。
学生達のステージ活動を観たとき確認しましたが、皆なかなか踊れるようでした。
大勢で参加したらかなり見物でしょう。


共感してくれる人が多いと思いますが、お盆のあとのさびしさは、やはり避けられないものがあります。
今年も何となく過ごしてしまいまして、恒例のごとく空しさを感じています。

でも、これからは秋を迎えることになるので、楽しみも少しは抱いています。

2013年8月7日水曜日

会津フード記 その5「こづゆ」

もうすぐお盆を迎えます。
この時期、親戚や知人などの家に行きますが、そのとき宴会などで必ず出される料理が「こづゆ」です。


婚礼などの祝い事、年中行事等など特別な日に添える食べ物として出されています。
会津を代表する郷土料理として、真っ先に挙げられるものでしょう。

ところで「こづゆ」はグルメ料理の枠に入るというほどの料理ではありません。
個人的な感想を言えば、味がそれほど特徴的なものでないせいもあり、美味しいと思うときも、そうでないときもありました。
悪い言い方ですが、その「こづゆ」を出す家に対する印象が味の評価に反映していたように思います。



「こづゆ」の味つけや具材は会津の各地でそれぞれあるようで、一体どれが正当なものなのか判断がつきかねます。
ただ一度試してみたいのが、会津各地にある旅館や料理店が出す「こづゆ」の中で、どういったのものが会津の人から多くの評価を得るのかというものです。
それによって「こづゆ」のあるべき形が、どういうものかが分かるのではないかと思います。


「こづゆ」の具材として多くの人が挙げるのが豆麩だと思いますが、昔の「こづゆ」には入っていなかったようです。
「こづゆ」の原形らしい料理から入っていたものとしては里芋と人参のようですが、今では豆麩の方が印象が強くて、具材が豆麩だけでも「こづゆ」だと思う人がいるのではないでしょうか。
他に野菜以外には保存食であった魚介類の乾物などが具材に使われていたようですが、イクラを入れていたときもあったようです。
それぞれの地域の「こづゆ」を資料で調べてみましたが、特に具材としてこだわらなければいけないものがないように感じました。
ただ特徴的なこととしては具材の数が7種類か、9種類だということでした。
これは奇数の数が縁起が良いからということらしいです。
ちなみに私の家庭で作られ、食べなじんできた「こづゆ」は「里芋、人参、豆麩、白滝、キクラゲ(椎茸)」の5種類であり、正式なものではなく言わば「五目こづゆ」だったと判明しました。
また具材の種類以外には、仏事には人参を入れないという決まり事もあるようです。


さて、こちらに戻ってきて再び「こづゆ」を何度か食べる機会がありましたが、もう少し変化があっても、もう少し贅沢であっても構わないのではないかと思いました。
かといってコンソメ味にしたり、フカヒレを入れろというわけではないです。
このあたりの材料の選択が「こづゆ」の微妙なところでしょう。

私が人をもてなすために「こづゆ」を作るとして7種類の具材を入れるとしたら、まず定番の里芋、人参、豆麩は変えないとして、白滝も好きなのでそれも入れて、残りの三つは細めのアスパラ、小さく切ったそばがき、後は地元で栽培されたキノコ(シメジなど)です。
また季節によって栗や、秋田県の料理にあるようなイワナのつみれなどもいいと思います。

特別な日に出すときは具材は伝統的なものであるべきかもしれませんが、これまでにさまざまな形で変化してきたのはより美味しく味わおうとしてきたからだと思います。
ですから「こづゆ」は単なる郷土料理ではなく、もっと美食的なものとしてあってもいと思います。

2013年8月4日日曜日

只見町というところ

只見町は福島県の最西端にある町で、会津若松市から只見町まで行くには80km以上も距離があるかなり山奥の地域です。

越後山脈に囲まれ、国定公園や巨大なダムを有しており自然の規模、種類共に豊かであることは言うまでもありませんが、冬にはものすごく雪が積もります。

浅草岳
会津地域全体が豪雪地帯なのですが、只見町はそのなかでも特別な地域です。
たとえ実家の地域が大雪に見舞われていても、只見町の方ではどのくらいなのだろうかと気がかりになってしまうくらいです。
昨年度の積雪は3m位に達したようでした。

蒲生岳
この只見町に住むことになったら、奥会津地域育ちの私でさえ覚悟がいるくらいです。


しかし、東京から実家に帰る時この只見町を通るときがありましたが、このような山奥でも意外に発展している地域だという印象を受けていました。

人口も平成25年6月の時点では4,694人であり、同じような地理的条件にある他の地域と比べても多い方ではないでしょうか。

今回、只見町の実際を見てみようと訪れました。




まず、只見町地域の町並みは他の会津地域とは異なっていました。
住居がいかにも耐候性を重視した外壁を持つ一般的な造りの住居がほとんどで、また積雪に耐えるためのアーチ型をした車庫などをよく見かけました。


会津でよく見かける伝統的な様式を外見に持つ建物は、旅館などの宿泊施設ぐらいでした。
中には現代風な造りの新築の住宅が建っていましたが、そういったのを見ると何かここに住んでいる人の気概みたいなものを感じてしまいます。


小学校は立派な造りで良かったです。
校舎内もなかなか楽しそうでした。


また只見町は広大なブナの森林があることで知られており、それにちなんだ「ただみブナと川のミュージアム」という施設もあります。

館内の撮影はご遠慮下さいとのことでしたので、休憩室を紹介したいと思います。

テーブルにはめずらしい植物が飾られています。

図鑑などの書籍やセルフサービスのドリンクコーナーがあり、なかなか素敵な場所でした。



他にもキャンプ場がありました。

キャンプ場へ向かう階段にはどこからか水があふれていました。
この地域は積雪がかなり多いだけあって山には水量がかなり蓄えられているのだと実感します。


またこの只見町の町並みを特徴づけている場所として、昭和漫画館「青虫」があります。
テレビドラマの撮影にも使われたようで広く知られていると思います。

館内の様子です。
昭和はじめの、自分がまだ生まれていない頃の漫画本が多く置かれています。
ただただ魅入ってしまいます。


自分が知っている作者の漫画本があると、さすがにしみじみとしてしまいます。

東京にいた頃、電車内で隣に座っていた外国人の子どもが本を読んでいて、それがここにあるような昭和初期頃の漫画だったときはたまげてしまいましたが、絵画や児童文学の挿絵のように多くの人に受け入れられるものが、この頃の絵にはあると思います。
そしてなによりも、見る人をなごませてくれるものがあります。


また只見町にはこのような場所もありました。
看板には「たもかく本の街」と書いてあります。


古本屋らしいのですが、それぞれの建物にはジャンル別に小説、コミック、学術書などが揃えられていました。
本が好きな人にとっては、かなり楽しめる場所ではないでしょうか。

ネットで調べたのですがとてもユニークな経営をしており、本とこの只見町にある森林を交換!?してくれるらしいです。
1,750円分で森林を一坪ということですが、何だかすごい発想です。


只見町についてはここまでです。
範囲が広いのと行くまでに時間がかかるので、一日では全てを見て回れませんでした。
しかし他の地域には無いこの町特有の意識みたいなものは感じられました。

ここは会津地方の中でも独自の発展をしていく地域になるかもしれません。
とりあえず、遁世したくなったら住む場所の候補地にはなっています。


ここの冬祭りも毎年かなりの力の入れようなので、ぜひ皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。