2014年1月26日日曜日

新春の伝統行事 〜会津三大奇祭〜

前回の続きですが、小正月までには会津では新春の伝統行事が行われ、その中で大きな祭りがありました。

一月七日に柳津町で七日堂裸参り、一月十一日には会津美里町で高田大俵引き、一月十四日には会津坂下町で初市大俵引きが行われましたが、それらはその独特の様子から会津三大奇祭と呼ばれています。

開催日の順番に紹介していきます。


七日堂裸祭り

七日堂裸祭りは一月七日に柳津町にある円蔵寺で行われます。


由来は、只見川に住む龍神がかつてここに住む人達に不思議な力を持つ玉を与え、それを一月七日に取り返しにくるのですが、それを防ぐためにこのような祭りを行うということになったそうで、かなり歴史のある行事です。

 午後八時の鐘の音の合図とともに、ふんどし姿の男達が威勢よく階段を駆け上がって来ました。


体を水で清めた後、寺の堂内に向かいます。

そして堂内の大きな鰐口からぶら下がっている打ち綱に皆で一斉によじ登ります。

写真では伝えきれませんが、堂内は参加者と見物人がひしめき合っており、かなり熱気に包まれていました。

打ち綱は上になるにつれて太くなっています。
綱を登りきれる人はやはりそれなりの引き締まった体型の持ち主で、体格がいい人でもかなりの筋力がある人でないと登れないようです。

  子どもが登ると歓声が大きくなり、拍手が起きます

見物人には女性も結構多くいました。
男達のふんどし姿を仰ぎ見るという非日常的な光景ですが、真剣かつ温かい表情で見守り声援を送っていました。

この祭りの深夜まで行われます。
堂内の中の歓声は町中に響いていました。
この祭りで一年の無病息災を願うそうです。

父親が元気だった頃毎年参加していたようなので、やはり自分もいつかはやらなければならないのだろうかという妙な義務感を抱いています。

この時期にふんどし姿ということさえ珍しいですが、このように綱登りをするというのもなかなか他には見れない行事ではないでしょうか。
まさしく奇祭と呼ぶのにふさわしいものがあります。


高田大俵引き

次は会津美里町の高田大俵引きです。

これは3tもある大きな俵を赤組と白組に分かれた男達によって引き合い、その勝敗でその年を占いという400年続く行事です。

近くにある伊佐須美神社で清めを済ませてきた参加者達が登場してきました。
赤組が勝つと「商売繁盛」で白組が勝つと「五穀豊穣」であるとされます。

赤組は商工会の人達の他に女性もまじっていました。

白組は農業関係の人達と避難してきている楢葉町の方々も加わっているそうでした。
勝敗は三本勝負で先に二勝先取で決まります。

引き合いが始まりましたが、かなり重いらしくそれほど大きくは位置がずれないようです。
結果は最初の地点からわずかながら移動している方に判定されます。

結果は白の二連勝でした。
今年は「五穀豊穣」のようです。


引き合いが終わった後には、俵の上に置かれた「護守銭棒」という棒を参加者で一斉に取り合うということも行いました。

最初に掴んだ人が今年の福男になります。


 最後には勝った白組の人達によって小さい俵を観衆に向かって投げ入れます。
これを取ることができた人は後で、福をもたらすと言われる御幣束と交換されるそうです。


俵引きは力強く迫力がありましたが、最後の小俵を投げるところなど正月らしいめでたい雰囲気があって楽しめました。


初市俵引き

俵引きは会津坂下町でも行われ、こちらは初市俵引きと呼ばれています。
こちらの方が知名度が高いようで、観衆も多かったです。

俵引きの前には宮司の方による祈祷が行われました。

初市俵引きの参加者は全員ふんどし姿でした。
こちらの俵引きの知名度を高めているのもこの姿が理由の一つであると思われます。

柳津町といい、なぜふんどしなのかという疑問が浮かばなくはないですが、やはり伝統行事にはふんどしはつきものなのでしょう。
この寒い時期にこのような姿になること自体、何かありがたい感じがします。


それにしても寒そうにしていました。

こちらも勝敗により白ふんどし組が勝てば「五穀豊穣」、赤ふんどし組が勝てば「米価が上がる」というのを占います。

白ふん組には他地域の人達や地元の高校生の相撲部も参加しており、赤ふん組には地元以外に関東圏からの参加者達もいて、他に遠くは長野や大阪からの参加者も加わっていたようです。


いよいよ始まります。
背中からは気合いが伝わってきます。

そして引き合いが始まりました。


赤ふん側の方が息も合っており、勢いがあるようでした。

そして結果は二勝一敗で赤ふんチームの勝利でした。
高田俵引きでは「五穀豊穣」で初市俵引きでは「米価が上がる」という何とも好都合な結果となりました。


勝利を収めて満足げな赤いふんどしの皆さん。


こちらでも最後に小俵と、五円玉や商品券が付いたみかんが観衆に向かって投げられました。

高田俵引きでは遠慮したが、今回は自分も取ろうとしました。
チャンスはあったものの何度か手ではじいてしまい、結局取れませんでした。

体験して分かりましたが、投げられたものをキャッチするよりは、誰かが取り落としたものを拾う方が手に入れる可能性は高いようです。
地面に転がり落ちた瞬間、大声を出しながら拾いに行けば大抵他の人は譲ってくれそうです。



やはり会津坂下町の初市俵引きの方が、露店も観衆も多かったので賑やかだったように感じましたが、会津美里町の高田俵引きも引き合い前にはイベントを行ったりとなかなか趣向を凝らしたものでした。

またどちらも一般の人が俵引きに参加できる時があります。

来年もこのように盛り上がってほしいです。



会津三大奇祭以外でも地元には多種多様な伝統行事があります。

他にもこの時期に行われる大きな伝統行事としては「鳥追い」などがあり、自分も小さい頃参加したことがあります。
夜中に鳥追いの歌を唄いながら町を集団で歩くというものですが、今思えばなぜこのようなことをするようになったのかという興味があります。

七日堂裸参りなどは最初は堂内の天井から札をばらまき、皆でそれを取り合うという行事でしたが、いつのまにか綱登りになってしまったようです。
たぶん誰かが興奮して綱に登ってしまったのがきっかけなのかもしれません。


参加する人はなぜそのようなことをするようになったのか、もし知らないのであれば一度調べてみるといいと思います。
その行事がどのような起源があるか、どういう意味があるかを知ることで祭りをより良く体験することができるでしょう。
またそのことによって祭りも単なる観光イベントに化してしまうこともなく、伝統的な行事らしくあり続けると思います。

2014年1月22日水曜日

会津フード記 その16「納豆」

納豆は福島では消費量が多いらしいです。

会津でもそのようであり、納豆メーカーが製造したものをスーパーでよく見かけます。

また納豆は一般の家庭でも作られるようで、例えば奥会津には節納豆というものがあります。
それは年の暮れのころ納豆を作り、出来上がったものを大晦日に神棚に供えるというものです。
そういった風習があるくらい納豆は奥会津の生活と密接な食べ物となっています。



ところで納豆というと世間では人によって好き嫌いがかなり分かれると思います。
海外の人でも「見るのも嫌だ」と言う人と「世界一美味い」と言う人がいるようです。

自分にとっては納豆はかなり独特な存在となっています。
自分でも好きなのか嫌いなのかはっきりわかりません。
納豆が嫌いな人と同様に私も見た目や匂いが好きではありません。

しかしついつい日常的に食べてしまいます。
ただしネギをまぜて、あたたかいご飯にかけるという食べ方に限ります。
ちなみに以前は薬味にわさびを入れていましたが最近は和からしを捨てるのがもったいないので両方入れています。けっこう美味しいです。

しかし納豆を手巻き寿司などののり巻きなどにすると、とたんに食べたくなくなります。
蕎麦にかけたのも嫌になり、もちろん納豆餅なども食べられません。
また小粒よりも大粒の方が好きでひきわりなどしてしまうとそれもうけつけなくなります。

そして本当にわがままなことですが、自分が食べるのは構わないけど、他人が側で食べるのはご遠慮願いたいというのがあります。
一緒に食事をしているとき、目の前で食べていたら、なるべく見ないようにうつむき加減になるでしょう。

ただ納豆食べていると気が引き締まるというか、精進している気がします。
男声合唱曲(例えば高田三郎の「季節と足跡」)などを聴きながら食べると、何か身が浄められていくように感じます。

見た目等が嫌なのに何度も食べたくなるのは体にいいからなのでしょう。
これとご飯と味噌汁だけで生きていけるのではないかという気がします。
多分、長いこと世話になる食べ物だと思います。



ようやくですが本文に戻ります。

奥会津では冬でも納豆を作ります。
雪の中に藁を敷いてその中に大豆を入れた藁苞を並べ、雪の下で熟成させる「雪納豆(つと納豆)」というものです。

今回、三島町で作っておられる方がいて、幸運にも一つ残っているということで手に入れることができました。
もちろんこの藁苞納豆は店頭などでは売っていないものです。
どうやって入手した方は内緒ですが、複数の方にご面倒かけてしまいました。
とにかく感謝したいです。

これは藁についている納豆菌だけでつくるまさに本来の納豆です。

中はこの通りです。

豆は糸はあまり引きませんでした。
藁の風味が強くありました。

さっそく食べてみましたが、やはり最後に残っていたものだったのかちょっと発酵の具合が進みすぎていたようです。

固くなっている粒もあり、普段食べているものとは違う味でしたが、できればやはり出来たてのものを食べてみたかったです。
でも昔の納豆はこのようなものだったのだろうと感じさせるものがありました。


調べたところ雪納豆(つと納豆)は醤油ではなく、塩や味噌で食べるのだそうでした。
早速味噌で、とりあえずねぎも入れて試してみました。

それで、味噌で食べたら、なかなか美味しかったです。
納豆の風味はありましたが、味噌が絡まってほとんど糸を引かなくなり、何か他の郷土料理のような食べ物になったように感じました。


つと納豆はそのままで食べる以外に天ぷらや、麹を混ぜる納豆ひしょというもの、干し納豆などにするそうです。
天ぷらなどというと珍しいかと思われますが、納豆はただご飯にかけるだけではなくて他の料理に加工するというのが一般的なのかもしれません。


とにかく、食べて貴重な経験になりました。


ところで地元の食品メーカーである会津高田新田商店さんでは雪見漬という納豆を作っています。

これは納豆を塩で一年漬けこみ糀、砂糖、みりんで味をつけたものです。
スーパーに陳列されているのは知っていましたが、甘めの味つけとあったのでちょっと敬遠していました。
しかしこの機会に食べてみることにしました。

中身はこのような感じです。
何か豆金時のような状態になっており、糸は引きません。
しかし匂いはちょっと強く、納豆がさらに熟成したという感じがします。

食べてみましたが、それほど甘くなく、むしろしょっぱいと感じました。
少しだけでもご飯がかなり食べれます。
味はなかなか美味しかったです。

ちょっとづつご飯の供として食べるにはいいかもしれません。


興味をもたれた方、納豆に抵抗がない方、試してみてはいかがでしょうか。

2014年1月19日日曜日

新春の伝統行事 〜十日市・歳の神〜

十日市


一月も半ばを過ぎましたが、小正月までには会津の各地で様々な新春の行事が行われました。

それらの行事で代表的なものは初市や歳の神という火祭りですが、まずは会津若松市で行われた十日市を紹介します。


十日市には今回初めて訪れました。


ところでこの時期の各地の行事は初めて見るものばかりでしたが、なぜ自分の地元なのに知らないことばかりなのか疑問に思われる方もいるかもしれません。

実家にいた頃は、この冬の時期は積雪のため他の地域に行くということがとても面倒なことになり、休日などは雪片付けか近場のスキー場で一日を過ごすという生活であり、会津に住んでいながら本当に他の地域のことはわからないでいたのです。


さておき、街中では盛り上がりを見せ、多くの人達で賑わっていました。

初市らしく正月の飾り物や、縁起物などが売られています。

 地元を代表する初市の縁起物としてはこの「起き上がり小法師」という玩具です。

この縁起物の露店は多く見かけました。
毎年、父親が土産に買ってきたのですが、このようにして売られているというのは初めて知りました。

市神などが祀られているのを見ると伝統行事という雰囲気が感じられます。


地元の野菜や焼き物などの特産品の露店もありました。

末廣酒造さんが甘酒を振る舞っていましたが、これはかなり美味しかったです。
地元の大手酒造メーカーの作る甘酒はやっぱり違うと思いました。
この日のいい思い出のほとんどはこの甘酒だったかもしれません。


ところで十日市では食べ物の露店がほとんどでした。
初市らしい雰囲気を作る縁起物や地元の特産品などの店は印象が薄いものとなっていたように感じました。
特に興味を惹いたものなどはあまりなかったように思います。

とりあえず冬場に金魚すくいというのもなかなか珍しいものを感じたので、撮影してしまいました。


にぎやかであるのはいいのですけれど、もう少し会津らしい地域性が感じられるものであったら良かったと思いました。


十日市では奥会津地域からの人達も参加していたようでした。
昔も、山間部などの遠方からも多くの人々が集まり都市部の人達と交流する社交の場であったのでしょう。
また他の地方の特産品など初めて見るような珍しいものに触れたりして、これからの生活に何か期待を膨らませたりもしたのだろうと思います。


単に露店を食べ歩くような催しになってしまうのではなく、訪れる人達が活気づくような初市であったらいいと思います。



歳の神


小正月の時期になると全国各地では火を焚く風習があるようですが、地元にもそういった行事があり「歳の神」と呼ばれています。

小さい頃過ごした実家のある地域でも各地区ごとに行われていました。

今回は他地域の歳の神を見てみたいと思い、各地を見物してきました。

まず芦ノ牧温泉の歳の神を紹介します。

火を焚くやぐらは一般的な円柱形のものです。

正月飾りなどがたくさん付けられていました

屋台も出されており餅や甘酒が振る舞われていました。
餅はさっそく頂戴し、遠慮なくおかわりもさせていただきました。

点火には年男、年女の人が選ばれ、人数が足りなければ厄年の人が加わります。

いよいよ点火されました。

雪が降りしきる会場でしたが、炎が燃え上がると周りがかなりあったかくなります。

骨組みの竹が爆裂する音がすると、子どもは火事だ花火だと興奮していました。

炎で餅やイカなどを焼きはじめる人もいます。

温泉街だけあって観光客の人もいましたが、満足してもらえたのではないかと思います。



こちらは東山温泉の歳の神です。
やぐらは竹でかこった独特なもので、中はほとんど縁起物、飾り物が詰まっていました。

点火前には宮司の方によるお祓いが行われました。

点火の様子です。

会場では露店も多く出ていて、今どきの流行曲などもBGMとして流れていましたが、伝統行事というよりイベントに近いように感じました。
ちょっと自分が抱いている歳の神のイメージとは違っていました。
でもやぐらが大きいだけあって炎は豪快でした。



自分の実家がある地域でも行われていた歳の神のイメージは三島町のものに見られます。
三島町の歳の神は重要無形文化財に指定されていて、いかにも伝統的な雰囲気があります。
町内でも各地区ごとにそれぞれ行われており、やぐらも独自の形状でした。


これは名入地区の歳の神です。


やぐらがほとんど藁でできているので火の粉が激しいです。

炎で焼くのは餅やだんご以外に大抵はスルメの干物ですが、この人の用意したのはイカの一夜干しのようです。
これで一杯やるつもりなのでしょう。

周りで見ている人にはみかんを配ってくれます。
自分が子どもの頃見てきた歳の神はこのようなものでした。


他の地区の歳の神ではやぐらが10m以上もあるような大きなものもありました。
これは大登地区の歳の神です。


点火すると数分の内にてっぺんの紙垂まで達しました。

これだけ大きくても大体30分くらいでほとんど形が崩れ始めます。


三島町の歳の神に興味を持った人へ自分が薦めるとしたら宮下地区で行われるものです。
ここのやぐらは他には見られない独特な形をしていました。
箱形で杉の葉で覆われています。

点火するための火は近くにある三島神社から運ばれます。
儀式的なものを感じてワクワクしました。


点火するまで興奮して待ちきれない近所の子ども達は、階段を滑り台にしていました。


そして点火です。

このやぐらは火が燃え上がるまでけっこう時間がかかりました。


甘酒を飲みながらじっくり待ちました。


炎が大きくなるとこのようになります。

三島神社が近くにあるので、非常に絵になる風景の歳の神でした。
宮下地区は三島町の中心部にあり駅から近いので、観光客の人も見物しやすいと思います。

歳の神は穢れを払うと言われていますが、たしかにこの大きな炎を浴びていると何か清々しい気分になるのを感じます。


現在では火事になることを危ぶむのか、歳の神を行う地域が減ってきているようです。
実家の地域でも以前は三島町と同じ15日に行われていましたが、帰りに寄ってみたところやはり行われていないようだったので寂しく感じました。
小規模なものになってもいいので、毎年行ってほしいものです。


各地の歳の神を見て実感しましたが、やはりその地域の人達に新しい年を生きていくための元気を与えているのだと信じさせるものがあります。




来週は会津の三大奇祭を紹介します。