地元の人達による「歓喜の歌」
12月23日に南会津町で、地域住民による第九「歓喜の歌」の演奏会が行われました。
これは南会津町にある文化施設「御蔵入交流館」の開館10周年を記念して、催されたものです。
合唱の参加者はこの日のために、半年かけて練習してきたそうです。
指揮者の方は福島市出身の気鋭な感ある若手の方であり、ソリストもプロの方々が参加していました。
地域の参加者の方々は第九などうまく演奏できるかどうか不安もあったようです。
指揮者の方も、南会津町を訪れるのはこの企画がきっかけだったようであり、このような地方の人達とどれだけの演奏ができるだろうかと戸惑いもあったと思います。
自分はけっこういい演奏になるのではないかという期待がありました。
福島県は合唱が盛んですし、地元の人もそれなりに実力は持っていると思っていました。
そして会場を訪れた時、合唱のリハーサルが聴こえていましたが、やはりすごいことになっていると感じました。
参加者の地域は南会津町の他に隣の下郷町、只見町などからであり総勢150名もの人数で演奏されました。
ステージを見ると学生服を着た若い子から年配の人まで、幅広い年齢層で編成された合唱団でした。
そして本番で実際の演奏を聴いた時は圧倒されてしまいました。
カタカナ語ではなく、しっかりとドイツ語を発音して歌い上げたものでした。
合唱団のその熱意だけでなく、一生懸命努力してきたというものが伝わってきて、始まって間もないうちに胸がいっぱいになってしまいました。
誉め称えるべきものがあり、南会津町だけでなく他の地域の人にも聴いてもらいたかった演奏でした。
あらためて、素晴らしかったといいたいです。
ただ演奏の出来としては、悪い評価を受けるようなところはあったと思います。
たまに演奏が乱れるところもありましたし、オーケストラの演奏もいかにもアマチュアとして割り切らなければならないものでした。
またハプニングもありました。
前半のソリスト四重唱と合唱の部分で、演奏が盛り上がって一旦静まり返る時、曲をあまり知らなかった観客がいたのか、迫力がありすぎたのか、そこで拍手が起きてしまうということがありました。
また、この曲ではフィナーレを迎えるとたいてい「ブラボー」と喝采されますが、今回の演奏もそれが起こってもおかしくないものでした。
しかし先のハプニングがあったせか、ちょっと間があってから拍手と歓声が起こりました。
指揮者の方は少し気落ちして、ステージを後にしたように見えました。
しかし観客はずっと拍手を鳴らし続けていて、指揮者の方はようやくステージに戻ってきました。
指揮者の方はもしかしたら駄目な演奏だったと思っていたかもしれません。
しかし拍手を惜しまない観客の姿は確かに満足そうだったし、そしてステージに立っている人達を心底から賞賛するものでした。
指揮者の方は誇りを感じてほしいと思いました。
アンコールは「花は咲く」という東日本大震災の復興テーマソングとなっている曲で、その日二回目の演奏で、観客達も唄えるように選曲されたものでしたが、曲が終わり切る前に観客席から拍手が起こっていました。
そして演奏会を締めくくるアナウンスが起きたときも拍手が起こりました。
関係者の方々も大成功だったと思ったのではないでしょうか。
思うに、この催しは演奏会というより地域の祭りに近いものがありました。
現在、音楽で一般的に好まれるものはクラシック音楽より歌謡曲やポップスなどの方でしょうし、このような地方の町ではよりそういった傾向があると思います。
その日の観客の人達はほとんどが南会津地域の人だったと思いますが、多くはクラシック音楽など聴かないでしょうし、演奏の途中で拍手があったように第九さえよく知らない人もいたでしょう。
しかし多くの観客を感動させたものでした。
クラシック音楽になじみがない人向けに構成されたわかりやすい演奏会は他にもあります。
しかし、それよりも観客に明らかに強く感動を与え、満足させたのは自分たちで作り上げたものだったからではないでしょうか。
自分たちの家族や知り合いが、皆それぞれ半年間練習して、ステージで高らかに唄ったのです。
プロの演奏だったらこれほどの感動は与えなかったかもしれません。
地域の人達の情熱を捧げた合唱によって、ステージにいるもの、観客、全ての人達が一体となった、そういう演奏会でした。
演奏の出来の良し悪しはどうであろうと、皆で作り上げた演奏会は、その地域の人達に自分たちの力というものを実感させるものだったでしょう。
素晴らしい演奏会だったと思います。
合唱の思い出
ところで前にも述べましたが、我が福島県は合唱が盛んです。
学生達、特に中学生などは自分のその頃とは比較にならないようなレベルの高い演奏をしてくれています。
今年も県内の学生が全国大会で素晴らしい成績を修めてくれたようです。
福島県の合唱について興味がある人へ、特に何かを説明できるものはないのですが、参考までに自分が小さい頃どのように合唱に接してきたかを語ってみたいです。
合唱は他の地域もそうだと思いますが、やはり女子が上手いやつが多かったです。
女子は歌を唄うのが好きなのだと感じていました。
男子は半々でしたが、自分はといえばまんざら嫌いではなく、気に入った曲などは上手に唄えるように努力していたと思います。
林間学校のキャンプで皆で「遠き山に日は落ちて」を唄ったときなど、いい気分になったときもあります。
あと教科書には載っていなかったのですが、音楽の先生が「トランペット吹きながら」という曲を教えてくれて、これは楽しく唄っていた記憶があります。
数回しか唄ったことがないのですが、今でも覚えている曲です。
あと「仰げば尊し」という曲がとても好きでした。
これは自分の学校では卒業生のみが歌う曲でした。
卒業していく先輩が唄うこの曲を毎年うっとりとして聴いていたし、自分の卒業式がなぜか楽しみだったのはこれを唄うことができるからだったかもしれません。
また古語の歌詞などは大人びたものがあり、ときめきを感じていました。
歌詞のある部分に関して批判があるようですが、自分はむろんそんなことなど考えもせずに、卒業式にはしっかりと熱唱させてもらいました。
学校で合唱に打ち込んだことといえば、そのような程度ぐらいです。
でも合唱は皆と一体感が得られ、楽しさがあると感じていました。
振り返ると合唱は自分に確かに影響を与えてきたものだったと思います。
小学生の頃ですが、たしか地域の合唱コンクールに参加するため合唱団が結成されたのですが、上級生の女子で編成されたメンバーで曲は「寒ブリのうた」でした。
ブンブンブリブリと唄いだした時には皆吹き出してしまいましたが、それにもめげず演奏を続ける合唱団は勇ましく、曲のフィナーレでは圧倒されて呆然としてしまったのを覚えています。
そのときの先輩達の姿には憧れを感じさせるものがありました。
合唱には、曲の素晴らしさ以外にも歌い手の生き様の教えてくれるものがあります。
小学生の頃、合唱の練習に努力できたのも、そういう先輩の姿を見てきたからだと思います。
また、逆に自分たちも後輩に対していい演奏をしたいという気にもなったのでした。
そうして自分たちの演奏で他の人が感動してくれるということも、合唱と自分達を結びつけるものでした。
ある作曲家の方が自分たちの合唱を聴きに来られたことがあったのを覚えています。
何でも著名な方がくると聞かされていたので、皆ちょっと緊張してしまいそれほどいい演奏は出来なかったのですが、それでも一生懸命唄ったら、その方はとても感動してくれました(記憶違いでなければ)。
そのことはとてもいい思い出となっていますが、そういう風に誰かに喜んでもらえることによって合唱にますます励むことができたように思います。
そしてさらにいい演奏を聴いてもらおうとして上達することができたのでした。
中学生になったら合唱などは面倒くさく感じるようになり嫌気さえ感じていましたが、教員になるため研修に来た人に聴かせる時などには、それなりに上手に唄うように努力していたと思います。
そういうふうにして、自分にとって合唱は皆と一体感を得るような楽しいものであるという他に、自分たちを相手に伝えるという一種の自己表現のようなものでした。
学校にとっては先輩が後輩に対して生き様を教える行為であり、後輩もそれに応え、さらにはまたその後輩に伝えて行くという生徒間のコミュニケーションのような活動だったと思います。
今、福島県の中学生、高校生の合唱の活躍を見ると、本当に感心してしまうものがあります。
そして演奏を聴いていつも感動してしまいます。
そういった学生の姿を見て、恥ずかしながら自分もこうなりたいものだと思ってしまいます。
人生のだいぶ後輩である連中に、あるべき姿というものを教えられているように感じています。
これからちょっとでも、それに近づけるようにしていきたいです。
今年も残すところわずかになってきました。
ブログもようやく終盤を迎えることになります。
なるべく楽しめるようなものにしていきたいです。
それでは来年もよろしく